久保順平
Seven with Signor Sake:久保順平(くぼ じゅんぺい)久保本家酒造 奈良県
私のお気に入りの日本酒の造り手に7つの質問を通して話を聞き、歴史ある伝統技術に迫ります。
300年の歴史がある久保本家酒造では、久保順平さん率いる蔵人たちが伝統を守ることに全力を注いでいる。17世紀から続く、手間のかかる方法で酒母を造っているのだ。しかし、最初から手間暇かかる伝統的な造り方を目指していたわけではない。
海外勤務から帰国後、久保さんは将来有望な金融業界でのキャリアを離れ、酒造りも酒蔵経営も未経験であるにも関わらず、家業を継ぐ決心をした。11代目というプレッシャーを抱えながら、足元を固めるべく業界内の様々な人に会う日々。そんな時に出会ったのが、自分らしい酒造りができる場所を探していた加藤さんだった。 この出会いをきっかけに、2人はどんどんと力をつけていく。
そして、流行に左右されず、自然の微生物の力を生かした「生酛」とデンプンをできる限り糖に変える「完全発酵」にこだわった、食べる物に寄り添う酒を造るに至った。
一 人口は7千人の町、おうだについて教えてください。
飛鳥に都があった昔は皇族が狩りをする場所でした。 熊野古道、伊勢街道の近くに位置し、宿場町として栄えたそうです。 江戸時代は造り酒屋が20件もあり、人口も今以上あったようです。 歴史がたくさんあり、今も自然がたくさん残っています。 風土がお酒に与える影響は大きいので、酒造りにはラッキーな場所だと思います。
私達の先祖は元禄15年に吉野からこちらに出て来て、一旗上げてやろうと考えたようです。今では田舎街ですが、昔ここら辺は街道沿いにあり、城下町で酒屋も料理屋もたくさんありまし た。なので、そこで300年前に活躍しようとここへ来ました。私自身は18歳まで蔵で暮らしていました。 小さい頃は木の樽が川の辺りで干してありました。 泥のついた靴で樽を蹴飛ばしたりして怒られた思い出もあります。
小さい頃は木の樽が川の辺りで干してありました。 泥のついた靴で樽を蹴飛ばしたりして怒られた思い出もあります。
二 奈良は菩提酛の発祥の地ですが、なぜ菩提酛ではなく生酛作りをしていますか。
料理に合う酒となると生酛かなと思っています。キレがあり、旨みがあり、熟成して美味しくなるのは生酛です。 加藤の造りを見て、生酛には酒造りの根源があると思うようになりました。 生酛作りはコストがかかるし、技術的に難しいので四苦八苦しています。 菩提酛でも同じような味の表現はできるかもしれなませんが、加藤が生酛を作るために蔵に来た ので、その意向に従っています。ビジネスとしても生酛の酒は売れますね。
三 ロンドンから酒蔵に帰った経由について教えてください。
銀行勤めをしていた時に転勤になりロンドンへ移りました。ロンドンから日本に帰って来たのは会社の指令ではあったが、先祖代々続いている家業を自分の 代で辞めてしまうのも残念なことだと思いはじめました。 私は結婚してから色々な繋がりを意識するようになりました。 ロンドンにいる時から友達からなぜそんな良い仕事をしないのかと言われていましたが、20代の 時は酒蔵に戻りたいと思っていませんでした。親父も歳をとって来たので戻らないといけないな と思いました。 酒造りは大変な仕事ではあるがなんとかなるだろうと深く考えていませんでした。蔵の存続についての課題があるとは考えていました。このままではあかんなと思っていました。
蔵の存続についての課題があるとは考えていました。このままではあかんなと思っていました。
四 蔵元としての目標はあったか?
売り上げを上げるにはどうしたら良いのか、事業を続けるためにはどうしたら良いかを考えていました。 当時は選択肢がありました。大きな液化仕込みのオートメーション化した酒造りをして成功した 酒蔵もありましたが、そちらの方向にはいかずに私たちの蔵に合った方法を探していました。私たちの蔵のスタイルを模索していました。 模索したまま事業を続けていましたが、やはり確たるもんが必要だと思っていた時に、杜氏の加 藤に会って、変わりました。彼からたくさんのことを学びました。彼がいなかったら生酛作りは できていませんでした。 未納税を終了した理由は、自分たちで辞めたのではなく、大手メーカから契約を切られてしまっ たからです。大手メーカはやはりコスト重視のため、コストに見合わない下請けはどんどん契約 を切られました。
蔵に戻った時は仕事が辛かったという思い出はないですね。和気藹々としていました。 当時は普通酒の製造が中心で、品評会用の大吟醸が1銘柄だけ生産していたのでだったので、大変 な作業はしていませんでした。
杜氏の加 藤に会って、変わりました。彼からたくさんのことを学びました。
五 シンカメを通じて知り合った杜氏の加藤さんが、久保さんと契約する前にいくつかの要望があったと聞きました。そのあたりを教えていただけますか。
生酛作りができる環境に設備投資をすること。例えば熟成させるための倉庫を増設することを依頼されましたが、これらの要求は入る前ではなくて、入った後から要求されました。(笑) 新しい設備を作るために、お金がもちろん必要なので銀行から借りました。
六 加藤さんの規則で杜氏は皆、坊主にしなくてはいけないと聞きましたが?
そういった噂があるそうですが、それは嘘ですね (笑) 加藤が坊主なので、杜氏はなぜか自然と加藤を習って坊主にしています。 お前もやるかー?なんて加藤にふざけて言われましたが、「その頭で銀行に金借りに行くのはいややからなぁ」と断りました。
以前女性の杜氏が入ったことがありましたが、ある日、頭を剃って来たので、加藤にそんなことさせるなと怒りました。しかし彼女が自主的にやったことのようです。彼女がそれだけの決意を 加藤や私たちに見せようとしたようです。 彼女に「女の子が坊主にしたら、お父さん、お母さんも悲しむやろ」と聞いたら、「男の子みたいで良 いじゃない」と言われたらしいです。 彼女は20代前半で蔵に入り、私達の蔵で8年ぐらい働いてくれました。
以前女性の杜氏が入ったことがありましたが、ある日、頭を剃って来たので、加藤にそんなことさせるなと怒りました。しかし彼女が自主的にやったことのようです。
七 温度と風味の熟成について教えてください。
自然な感じで熟成させています。もろみが効いていない大吟醸を冷蔵庫で熟成させている酒も一部製造しています。やっぱり生酛の一番良いところは、熟成させて味わいを深くすることで料理と非常に合うところ です。完全発酵を目指して作っています。
品質は不快な酸っぱさのものはダメになってしまったものですが、普通はなかなかなりにくいで す。速醸、生酛に関わらず、ダメになってしまうものはあります。 完全発酵した酒はグルコースが少ないのでダメになりにくい、品質が悪くなりにくいです。 火入れしても冷蔵庫に入れておかないといけない酒もあります。
奈良の久保本家についてはこちらでご確認ください。
https://kubohonke.com/