リシャール ジョフロワ
Seven with Signor Sake:リシャール・ジョフロワ 白岩 富山県
私のお気に入りの日本酒の造り手に7つの質問を通して話を聞き、歴史ある伝統技術に迫ります。
リシャール・ジョフロワは、気が遠くなるような難題に取り組んだり、全く違う方向にシフトチェンジすることを恐れない。なにせ、世界で最も有名なシャンパンのセラーマスターになる前は、医学博士だったのだ。そして今は、IWA 5を通じて日本酒に身を投じている。IWA 5は、彼自身がワイン業界で培った豊富な経験を生かしながら、日本酒の世界を探求し、その限界を押し広げるという、リスキーながらもエキサイティングなスタートアップ・プロジェクトである。
この試みは、彼の日本への深い愛と、日本酒に限らず人をもブレンドする能力から花開いた。彼が引き寄せたチームは強力だ。桝田酒造店のオーナーである桝田隆一郎氏とパートナーシップを組み、日本で最も古い酒蔵のひとつで20年間経験を積んだベテラン杜氏の藪田氏が醸造を担当、ボトルとラベルのデザインはデザイナーのマーク・ニューソン氏、富山県の風光明媚な丘陵地帯にある酒蔵のデザインは著名建築家の隈研吾氏が担当している。リシャール・ジョフロワは、日本酒、人々、そして豊富な人生経験を融合させることで、日本と西洋をつなぐ待望の架け橋となることを目指している。
一 シャンパンの世界で長く仕事をしてきたジョフロワさんにとって、日本酒の魅力とは?
ワイン造りより日本酒を造る方が、自由度が高いんです。ひとつは、選択肢が多いので、組み合わせもその分広がるということ。そしてふたつ目は、ワインより規制がゆるやかで、制約がないこと。ワインは今、アペラシオンに関する岐路に立たされています。アペラシオンは、数々の象徴的なワインがその地位を築くのに重要な役割を果たして来ました。しかし、今はその過度な制限が逆にハンディキャップとなっています。シャンパーニュやドン・ペリニヨンにいた時代と比べると、私は日本ではより自由にのびのびと過ごせているのですが、欧米の多くの人々にはそれが理解しがたいようです。これは日本の風潮やイメージに反していながら、実はとても日本的なことだと思います。それから、精神的な枠組み、おそらくは文化的な壁があります。私は、日本の人々が、利用可能な水準や選択肢を自由に活用しきれていないことに気づきました。もしこの点においてIWAが貢献できるとすれば、新たな可能性にも満ちあふれたアッサンブラージュという優れた手段があげられると思います。アッサンブラージュの幅と可能性の規模を私たちは見過ごしているのではないでしょうか。今はまだ手を動かして学んでいる段階ですが、可能性は大きいと感じています。
ワイン造りより日本酒を造る方が、自由度が高いんです。
IWAの立ち上げやリリース前は、私たちがやって来ることが話題になりましたが、かならずしもポジティブな話ばかりではありませんでした。疑いもありました。ジェフロワは何をしているんだ?彼は自分の仕事に集中していればいいんだ。ドン・ペリニヨンのジェフロワが好きなのに…。さらに、IWAを立ち上げたのが、コロナ感染症が広がる2020年5月。しかし、3年経ち、同じようなことを始める人たちが出て来ました。新しいアッサンブラージュがあちこちで見られるようになったんです。「アッサンブラージュ」とフランス語のまま呼んでね。素晴らしいことだと思います。不満はなく、この状況を嬉しく感じています。私たちは貢献したいんです。日本酒業界は貢献を欲しています。とても友好的な動きです。アッサンブラージュは新たな可能性を提供できるのではないかと考えています。
時々、「なぜワイン業界で築き上げた地位から日本や未知の業界、そしてスタートアップとリスキーな世界へ移ったのですか?」と聞かれることがあります。私はもう引退していてもいい年齢です。でも、愛があるからやりたいのです。確かにビジネスですし、成功もさせるつもりです。でも、一番の動機はあなたと同じ。あなたの話を聞いていて、個人的に日本に感じている魅力を思い出しました。日本酒を知り、飲み始めて、何かできるかもしれないと思った。それが少しずつ形になって行ったんです。
二 桝田酒造店の桝田隆一郎氏とパートナーを組まれましたね。そのきっかけを教えてください。
理想的なパートナーをずっと探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。すでにあるプロジェクトの一部を担うとか、引き継ぐような形ばかりで。小さなプロジェクトの規模拡大という形もありました。1年間、電車で日本中を旅した後、これでは無理だと悟ったんです。まっさらな状態から始めるしかない、と。すでにあるプロジェクトを無理やり自分が夢見る形にねじ曲げて実現するよりはその方がいい。どちらにしてもパートナーが必要でした。いわゆる「ファシリテーター」です。今思えば正しい判断でした。けれども、ぴったりの人が思い当たらなかった。そこで、以前から親交のあった隈研吾氏に相談したんです。彼の返事は「それができるのはただ一人。一か八かになるけど。桝田さんしかいない」と言いました。それで週末に一緒に会いに行ったんです。桝田さんはとてもユニークな人で、先進的でモダンなセンスの持ち主です。そして先見の明がある。まさにぴったりでした。日本での起業は一筋縄ではいきませんが、彼がこれまでファシリテーターを務めてくれました。とは言っても、手取り足取り教えてくれるわけではありません。彼の力が発揮されるのは初期の段階においてで、プロジェクトを実現させること、確立させることです。
理想的なパートナーをずっと探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。そこで、以前から親交のあった隈研吾氏に相談したんです。彼の返事は「それができるのはただ一人。」
今振り返ってみると、もうひとつとても嬉しいことがあります。私たちは桝田さんの関係でずっと富山にいました。富山は伝統的でも保守的でもないですし、ここに来て正解でした。新潟でもありません。何かを付け加えないようにするのに十分なプレッシャーもありました。富山には先進的で起業家的な風潮、そうした精神があります。当時、桝田さんを通じて、日本のサステイナビリティの第一人者だった富山市長と素晴らしいつながりを持つこともできました。とても近代的なのです。それ以来、富山は観光地としても定着しつつあります。食べ物も自然もある。昨日、須賀シェフと会った時、富山の魚介類は他ではないようなクオリティで、魅了されたと話してくれました。富山には独特の何かがある。金沢ではないし、街自体は美しくありません。もっと内面的な何かなのです。富山の未来は明るい。富山を訪れる人はどんどん増えています。でも今はまだ、インフラが整っていないため、長期滞在することができません。でも、いずれ長期滞在する人も出てくるでしょう。私たちは、いるべき場所に巡り会えたと深く実感しています。そして、西日本は新たな場所になる、と。みんな西日本に誘われてくるのです。
三 IWAはどんな人が飲んでいるのですか?
日本とアジアでは、まずはワイン愛飲家のサークルでした。明らかに…願わくば、「ワイン愛飲家」とはワインマニアのことです。香港、シンガポール、台北では、コレクターや富裕層ですね。ブルゴーニュ、最高級シャンパン、ドンペリニヨン、クリュッグ。IWAを評価する感性、教養、文化を備え、その良さを大々的に語ってくれる素晴らしい方々です。同時に、こうした輪の外へも広がっていかなければなりません。まだそこまでは至っていないものの、近いうちにそうなることを願っています。
IWAを評価する感性、教養、文化を備え、その良さを大々的に語ってくれる素晴らしい方々です。
IWAとワインの世界に重なり合う部分があるのは明らかです。そして個人的には、この2つのコミュニティの橋渡しができると考えています。現在、ワインコミュニティが日本酒にとても興味を持っているのは、ワインに飽きてきているからかもしれません。お金があれば、何でも買うことができます。これまでは61年と82年を飲み続けられていたかもしれませんが、こうしたワインも底をつきつつあります。近々何もなくなってしまうでしょう。さらに、スピリッツと比べると、ワインでのクリエイティビティは非常に限られています。人々はワインに不満を感じはじめ、日本酒を模索するようになる。ワインのコミュニティは日本酒へ流れてくることになるでしょう。しかし、日本酒業界はワインのコミュニティにどうアプローチするべきかを知りません。溝があるのです。私は、(共同設立者の)チャーリーとIWAとともに、そのギャップを埋めることができる。それが私たちの原点です。私たちはワインと日本酒の両方に通じているのです。
四 ドン ペリニヨンは17世紀にワイン造りを発展させた修道士です。酒造りにおいても、大きく進展させたのは奈良の僧侶たちでした。他にもワインと日本酒の共通点はありますか?
ふたつとも発酵商品ということ。発酵は文明の偉大なステップ、行為であり、腐りやすいものを耐久性のあるものに変化させます。発酵は人類における大きな進歩なんです!ワイン造りにおいては、必要なものがすべてブドウに組み込まれています。糖分はすでに分解されていて、すぐに発酵することができます。水分もあるし、微生物もいる。しかし、米を美味しいお酒にするのは難しい。それをやりとげるたくましさと試行錯誤は日本人ならではです。日本のDNA。まさに、日本の様々な側面を反映していると思います。フランス人に日本酒は造れなかったでしょう。やらなければいけないことがたくさんありすぎて…。日本では、ルイ・パスツールよりも早く火入れの技術を確立していました。それがすべてを物語っていると思います。他の共通点としてあげられるのは、原産地、テロワールの要素、人、発酵、伝統、革新、物語、食べ物。
ふたつとも発酵商品ということ。発酵は文明の偉大なステップ、行為であり、腐りやすいものを耐久性のあるものに変化させます。
五 日本酒にワイン用語を取り入れるべきかどうか、様々な議論が行われています。例えば「テロワール」。日本酒にテロワールは存在するのでしょうか?
米の品種や栽培地域は重要ですが、ブドウほどではないと言うのが妥当だと思います。どれくらいかというのは難しいですね。よく、葡萄の影響は50%以上、米の影響は20%と言われています。(米に関しては)それ以下かもしれない。また、米のテロワールについて語る一方で、何も残らないほど精米する人には少し戸惑ってしまいます。デンプンにテロワールがあると証明したがる人もいました。でも、私はもともと科学者です。デンプンはデンプンで、そこまで削ってしまえば、それ以上は何もない。個人的には、日本酒業界は長い間もがき苦しんできて、ワインを模倣するなど、さまざまな方向性を試みているのだと思います。でも率直に言わせてもらえば、ワインの真似はするな、と提案したいです。ワインも多くの間違いをおかしてきていますから。
(日本酒に関して)私が唯一信じるテロワールは、「日本酒のテロワール」です。蔵、人、北の杜氏、南の杜氏......同じ原料、酵母、麹でも、出来上がる酒は違う。杜氏と蔵人チームの文化、水…偉大な蔵は自分たちの水源を持っていますね。そして、伝統的な技術に固有の微生物、蔵のレイアウト。設備の配置や作業の段取りを含めた造りの工程は、酒の味わいに大きな影響を与えると強く感じています。
私が唯一信じるテロワールは、「日本酒のテロワール」です。蔵、人、北の杜氏、南の杜氏......同じ原料、酵母、麹でも、出来上がる酒は違う。
六 日本では日本酒の消費量が減り続け、海外では日本酒自体がそれほど認知されていません。IWAとは別に、日本酒業界を救うのに必要なものとは何でしょうか?
日本酒は初めて飲む人には敷居が高いと思います。もっと親しみやすく、もっと身近になればいいのですが。それが課題です。日本にはどこか敷居が高いイメージがある。今年、私は色々な場所を旅していますが、アメリカまで来る日本酒の蔵の代表はあまり見かけません。個人的に、答えは「近さ」だと思います。
IWAは日本酒以上のものを売っていると考えています。海外に日本の要素をもたらしているのです。多くの人は日本に行かないですし、これからも行くことはないでしょう。ですから、日本からこうした人々に働きかける努力をするのはいいことだと思っています。
私はLVMHのラグジュアリー業界にいました。長い間、ラグジュアリーの教義は、距離だったんです。そして今、「ブランド体験 」や 「原点回帰 」が重視されてきている。全てではなくても、もっと知りたいという気持ちがあるんです。すなわち、「もっと近づきたい」という叫びなのだと思います。
七 ワインと関連して、料理と日本酒のペアリングについて教えてください。
ワインのペアリングでは、ワインが料理の上にある、ということを今ほど実感したことはありません。そして、重要なのは、わずかに上であることです。上すぎるとペアリングにならない。わずかに上であるのが良く、エモーショナルだというわけです。でも、IWAはそうではありません。まさに料理と同等なのです。昨日来たゲストは、IWAが料理の個性を伸ばしているように感じたと言っていました。私たちはこれを非常に重視しています。フランスではワインは料理の上にあり、料理を引き立てるのはソースだとされています。しかし日本料理にはソースがない。日本酒がソースだと言っているのではなく、料理と同等でありながら横方向に、親密に伸ばすような感覚です。その結果、シェフは日本酒を愛し、IWAを愛するようになりました。多くのシェフはワインに懐疑的です。ワインに熱心なシェフはほんの一握り(10人以下)で、その他のシェフは、ワインはソムリエに任せ、自らは関わりたがりません。そして、料理を作るとき、ワインについてはまったく考えない。ワインが自分たちの料理を変えてしまうのではないかと疑っているからです。日本酒はシェフにとって、非常に親しみやすいお酒なのです。
IWAについての詳細は、ウェブサイトwww.iwa-sake.jp