佐々木要太郎
Seven with Signor Sake:佐々木 要太郎(ささき ようたろ)とおの屋要 岩手県
私のお気に入りの日本酒の造り手に7つの質問を通して話を聞き、歴史ある伝統技術に迫ります。
佐々木要太郎さんは濁酒(どぶろく)を造る酒蔵の初代蔵元です。日本では新規の日本酒酒造免許を取得することが非常に難しいため、「初代蔵元」に出会うことはほとんどありません。酒造免許に関する規制は、1970年代まで増え続けていた日本酒の売り上げが減り始め、需要が縮小する中で、既存の酒蔵を保護するために設けられたものです。
濁酒は清酒とますが、法的には別種類の飲み物です。濁酒は最後に濾過しないため、どろどろとした食感が日本酒との主な違いです。その歴史は千年以上前まで遡り、昔は食品として扱われ、日本酒の前身とも言えます。
幸運なことに、2000年代にどぶろくの醸造免許の規制が緩和され、遠野は醸造免許取得の申請ができる経済特区(どぶろく特区)となりました。当局の徹底的な調査の結果、佐々木さんも免許を取得し、現在、この地域で2件しかない造り手のうちの1人となっています。
佐々木さんの蔵で造っているのはどぶろくのみですが、米作りからサービスまで全ての工程に携わっています。自ら栽培した自然米でどぶろくを造り、自分の民宿でも創作日本料理に腕をふるい、様々などぶろくとのペアリングを提供しています。
一 美味しいどぶろくを作る秘訣は?
美味しいどぶろくを作る秘訣はすべてバランスです。なかでも一番大事なのは、米を育てる土の状態で、その土の栄養を吸収してできた米が第二のステップです。現在採用している、水、麹、米の量のバランスにたどり着くまでに12年かかりました。はじめて作ったどぶろくは、ものすごくまずかったです。アルコール感に対しての渋み、酸味、うまみ、甘味のバランスをずっと探していました。当初はバランスのとれた、エレガントな味を求めて造っていましたが、今は穀物の限界を超えるような酸を味に出せるようにしたいです。
“今は穀物の限界を超えるような酸を味に出せるようにしたいです”
どぶろく造りを始めた当初、求めている味を追求するため、90%から50%まで、5%ずつ精米歩合を変えて造ってみました。すると、60%が一番美味しかったのです。そこで、2年前までは精米歩合60%のどぶろくだけを流通させていました。
そして2年前、誰にも公表せずに食用の米と同じ精米歩合98%で造ってみたところ、精米歩合を変えた事に誰も気づきませんでした。今年、精米歩合を変えたことを初めて公表したところ、皆とても驚いてました。多くの酒蔵では米の雑味をなくすために精米をしていますが、私はその必要はないと信じています。今後も98%から60%に戻す予定はありません。
二 どぶろくの歴史について教えてください。
どぶろくの歴史はとても古く、西暦702年に発行されている万葉集に既に登場しています。明治維新後に日本の政策が大きく変わり、どぶろくの文化は途絶えていきました。そのため、どぶろくは農民の密造酒という位置付けで、各家庭で余った雑穀から作られていました。
遠野に限らず、東北は冬が長く、資源が乏しい地域で、経済的に豊かではないので、貧乏藩と呼ばれていたぐらいです。その一方で、資源がないため、塩漬け、発酵、乾燥の文化が栄え、その一環として、どぶろくがあります。昔は米がとても高価だったので、米の代わりにヒエ等の雑穀でどぶろくを仕込んでいました。
“昔は米がとても高価だったので、米の代わりにヒエ等の雑穀でどぶろくを仕込んでいました”
遠野に限らず、東北は冬が長く、資源が乏しい地域で、経済的に豊かではないので、貧乏藩と呼ばれていたぐらいです。その一方で、資源がないため、塩漬け、発酵、乾燥の文化が栄え、その一環として、どぶろくがあります。昔は米がとても高価だったので、米の代わりにヒエ等の雑穀でどぶろくを仕込んでいました。
”白酒黒酒(しろきくろき)”という言葉がありますが、”白酒”はどぶろくを意味し、”黒酒”は清酒を意味ます。どぶろくは白く、清酒は黒い炭でろ過するからです。本来はどぶろくが表の文化だったが、いつのまにか、清酒が表文化となってしまいました。
昔、人々は田んぼの稲刈り後、希少なお米で3甕分だけ、どぶろくを作りました。そのどぶろくは馬の糞の温度で発酵させて作りました。甘いうちに雪の中に入れ、翌年の春に雪が解けるまで放っておくのです。雪が解けて、甕が雪から出てきたころに、その年の豊作を願うお祭りが始まり、その時どぶろくを呑みます。当時のどぶろくを味わうことができた私の祖母は、すごくすっぱくておいしくなかったと言っていました。
昔は骨酒というものもありました。骨酒は、上記の方法で作ったどぶろくに日本狼の骨を入れたものです。日本人にとって狼は山の神、番人なので、その酒は縁起物や貴重な薬としても使っていました。
“昔は骨酒というものもありました。骨酒は、上記の方法で作ったどぶろくに日本狼の骨を入れたものです”
三 どぶろく造りを始めた経緯は?
米作りも含め、17年前の2002年から、どぶろく造りを始めました。民宿自体は130年前からあり、遠野初の民宿なので、”民宿とおの”という土地の名前がついています。私は民宿の4代目ですが、酒蔵としては初代となります。
ある勉強会で日本酒が造られる過程の並行複発酵は、世界の酒文化の中で日本だけだと聞きました。それを聞いて、世界のお酒と戦えると確信しました。また、今までのどぶろくの味わいがワイルドで不味すぎました。米を濾して造る酒の文化が早くに発展しすぎてしまったため、どぶろくの文化が発展しなかったのだと思います。洗練されたどぶろくが作られる前に、濾して作る酒が注目されてしまったのです。日本酒の元である、どぶろくの品質を高められたら、いつかどぶろく自体が評価される日が来ると確信していたから、ためらうことなく仕事に打ち込むことが出来ました。
“世界のお酒と戦えると確信しました”
私は工業技術センターで3年間酒造りを勉強したので、実は日本酒も造れます。当時、先生にどぶろく造りについて相談したこともありましたが、「教えることはできない。学びたいならどこかの酒蔵で勉強するのが良い」と言われました。しかし、酒蔵が増えるということはライバルが増えることなので、岩手県の地元の酒蔵からはどぶろく造りを反対され、近場で私を研修生として迎え入れてくれる酒蔵はありませんでした。
そのような状況の中、私達の宿で取り扱っている魚を提供してくれていた、徳島の有名な漁師、村公一さんが泊りにきました。村さんと一緒に酒を飲みながら、どこかの酒蔵で修業したいことを相談したところ、奈良県の久保本家を紹介してくれました。修行期間は10日間ではありましたが、久保本家の加藤杜氏は今でも私が一番尊敬する人です。
四 日本で清酒製造免許を取ることは非常に大変ですが、どのように取得されましたでしょうか?
1990年まで免許取ることは禁止でしたが、その後申請が可能になりました。遠野で免許を取るのは本当に難しかったです。民間の組織で合格したのは私たちともう1件だけでした。どぶろく特区は過疎化している地域に活気を与えるための仕組みだったのですが、申請を開始したのが日本経済が下降していた時期だったため、借金がある応募者は税金を払えなくなる可能性を国が考慮し、不合格としました。もともとは借金を返すための制度であるはずなのに、矛盾した制度だと思いました。その点、借金なく経営してくれていた父、祖母のおかげもあり、2002年に申請し、2003年に免許を取得しました。
五 農薬や除草剤を使わずに地元の品種のお米を作っていますが、きっかけは??
私が自然栽培の米作りを違和感なく始めることができたのは、ワインが大好きだからです。ナチュラルワインを知ったのはサラリーマンをやっていた20才前半でした。特にフランスのアンリ・ジャイエのブドウ栽培の哲学に惹かれまして、ブドウ栽培の哲学について私自身でもかなり調べました。調べるにつれ、ドイツのシュタイナーという学者のバイオダイナミクスに辿り着き、更にバイオダイナミクスの原型は日本の陰陽の文化を参考にしているという文献を見つけたのです。自身でたくさん勉強したので、初めから農薬や肥料は米作りに必要ないと確信していました。とはいえ、農薬を利用している農家の気持ちが分からないまま一方的に農薬利用を否定するのは良くないですし、慣行農業との違いを自分で調べてみたかったので、3年間は農薬有と農薬無しの米を同時に栽培して実験しました。
3年間の実験を経て、無農薬にすることで醪日数が長くなり、酵母の力が持続するようになりました。酵母の力が弱いと、瓶内熟成に耐えられず酵母が失活して香りや味に悪影響を及ぼします。このような現象が起き始めたのは土壌環境がより良く変わっていった事が大きいと考えています。改善した土で育ったお米の力が蔵付き酵母や、乳酸菌などとの相性で相乗効果が生まれ長期醪となっていると思われます。これがわかってからは全て無農薬栽培に移行しています。
いきなり全てのタンクは無理かもしれないですが、他の酒蔵でタンク1つからでも無農薬米で酒造りをすれば、無農薬米が普及すると思います。
六 佐々木さんのどぶろくは海外で評価され、ミシュランの星付きレストランでも提供されていますが、海外のマーケットにはついてどう考えていらっしゃいますか?
以前はスペイン、イタリア、香港でも売っていましたが、現在、海外の販売はすべて止めています。理由は文化です。私はイタリアのトリノ、パルマに初めての仕事で行った時に、大きな工場を持つ生産者から家業でやっている小さい生産者まで、様々な生産者を訪れました。そこで彼らの文化を教わり、イタリアの生産者が継いできた生粋のプライドを感じました。そして、そのプライドを文化だと思いました。
イタリアでそうした経験をする前は、遠野で自家製のサラミ、チーズ、生ハムを作って提供していましたが、サラミ、チーズ作りを私が遠野でやる意味はなかったと思い、辞めてしまいました。その代わり、私の曽爺さんはマタギだったので、サラミではなく干し肉の保存食を作るように意識を変えました。
海外の有名なシェフに高い評価をしてもらったのはとても貴重な財産です。しかし、今では私のどぶろくは日本に来て飲んでほしいと思っています。そのため、2年の販売契約が終わった時、契約更新のオファーと販売量の増加の依頼をいただきましたが、全部断りました。
七 遠野でのこれからの展開は?
新しいチャレンジとして1000Lの木樽を4本導入してどぶろくを作ります。私は料亭や旅館を普通のビジネスではなく、文化的ビジネスと呼んでいます。このような文化的ビジネスは世界中どこでもあるので、将来は、同じような哲学・文化を背負ってきた人たちと共同で製品を作って、世界中に共有したいです。
“私は当時の自然環境を再現することに全精力を注いでいます”
科学的に見ると醸造技術は今でも進歩していますが、科学的な技術がない江戸時代でも、人の第六感だけで行う発酵の技術は既に完成されていました。醸造技術は科学で進歩しますが、今の科学をもってでも当時の自然環境は再現できないのです。私は当時の自然環境を再現することに全精力を注いでいます。それはテロワールにもつながることだと思っています。
SIGNOR SAKEのお気に入りの日本酒
生酛のどぶろく
生き生きとしたお酒。瓶を開ける際は勢いで瓶の蓋が飛ばないようにご注意を。タンクにもよりますが、3〜6ヶ月熟成させてある無濾過生原酒です。お粥のようにどろどろとしていますが、ぜひ一口飲んでみてください。驚くほどエレガントで、すっきりとした酸味とほのかな甘さ、独特の食感も楽しく、ついついもう一口、となるようなお酒です。
とおの民宿の醸造量は非常に少なく、2019年度は年間8000本でした。どぶろく造りに使われている米の98%は佐々木さんが自ら無農薬栽培しているものです。2017年までは精米歩合が60%、2017年からは精米歩合98%の岩手県特産の「遠野1号」となっています。「遠野1号」は、北海道の在来品種「坊主6号」と山形県の在来品種「亀の尾」を掛け合わせたお米です。
米の種類:遠野1号(岩手県)
精米歩合:98%
酵母:蔵付き酵母
アルコール度数: 14%
カテゴリ:濁酒
サブカテゴリー:生酛無濾過生原酒
とおののどぶろくの詳細や、素晴らしいお料理を堪能できる民宿とおのについてはこちらをチェック:http://tonoya-yo.com/en/yotaro.html